
2025年、タイとカンボジアが本気で戦争をした。
F-16戦闘機が出撃し、ロケット砲が住宅地に着弾し、100人以上が亡くなった。東南アジアで、ASEANの加盟国同士が、だ。
ニュースでは「国境の領土問題」と報じられることが多いんだけど、僕はこの紛争にはもっと深い背景があると感じていた。調べてみたら、やっぱりそうだった。
この紛争の根っこには、二人の元首相の33年にわたる友情の崩壊がある。
タイのタクシン・シナワット元首相と、カンボジアのフンセン元首相。この二人は「ゴッドブラザー(義兄弟)」と呼び合うほどの親友だった。その関係が、たった1本の電話録音をきっかけに完全に崩壊した。
そして友情が壊れたことで、紛争を止められる人がいなくなった。
今回は、この一連の出来事を個人的に深掘りしてまとめてみた。事実関係はニュースソースに基づいているけど、分析や推測の部分はあくまで僕個人の見方として読んでほしい。
タクシンとフンセン、33年の友情
まず、そもそもこの二人がどれだけ仲良かったのか、という話から。
二人の関係は1992年に始まる。タクシンがカンボジアで通信事業を立ち上げたのがきっかけだ。最初は疑念もあったらしいけど、徐々に信頼関係を築いていった。
友情のハイライトをいくつか挙げると:
- 2003年、プノンペンのタイ大使館が焼き討ちに遭った時、タクシンはフンセンに直接電話して「1時間以内に解決しなければコマンド部隊を送る」と通告。数時間で事態を収拾した
- 2006年にタクシンがクーデターで失脚して海外に亡命した後、フンセンは彼を「個人顧問・カンボジア政府経済顧問」に任命した
- 2014年のクーデター後には、フンセンが200人以上のタクシン派支持者にカンボジアでの亡命を許可
- タクシンは「ASEANには深く愛し合う3人の兄弟がいる。ブルネイ国王、私、そしてフンセンだ」とまで語っていた
つまり、ただの政治的同盟じゃない。タクシンが最も苦しい時期に手を差し伸べたのがフンセンだった。
友情の絶頂は2024年2月。タクシンが15年の亡命を経てタイに帰国した直後、フンセンがわざわざバンコクのタクシン邸を訪問している。「旧友への訪問」として世界中のメディアが報じた。
ここまでは、本当にいい話なんだよね。
何が友情を壊したのか
じゃあ、何がこの33年の関係を壊したのか。
僕が調べた限り、きっかけは大きく2つある。
きっかけ1:タクシンが「痛いところ」を突いた
タクシンは地方選挙の遊説中に、カンボジアのポイペトにある「25階建てのビル」を名指しで批判した。このビルはコールセンター詐欺の拠点だった。
タイのサイバー犯罪対策当局もこのビル(Crown Casino Resort)が詐欺の中枢であることを確認している。これは事実だ。
問題は、カンボジア国境沿いのカジノ・詐欺産業がフンセン一族の経済基盤だと広く報じられていること。タクシンの名指し批判は、フンセン側の「金脈」に直接メスを入れる行為だった。
タクシン本人も後に「タイがカンボジアの『痛いところ』を踏んだからだ」と認めている。
きっかけ2:電話が録音された
2025年6月15日、タイのペートンタン首相(タクシンの次女)がフンセンに電話をかけた。国境問題の平和的解決を目指す非公式な通話だった。17分間。
この電話の中で、ペートンタンはこんなことを言っていた。
- フンセンを「おじさん」と呼んだ
- 「姪っ子に同情して」と懇願した
- タイ軍の司令官を「敵対勢力」と呼んだ
- 「何か欲しいものがあれば私に言って」と申し出た
3日後の6月18日、フンセンがこの電話の録音をリークした。しかもFacebookで全世界に公開。80人の当局者にも事前に共有していた。
タクシン側は「罠だった」と主張している。フンセンは面会を3時間遅らせ、随行者がいなくなった後にペートンタンの個人携帯に直接電話したという。録音する気満々だった、と。
これは推測だけど、状況証拠を見ると、フンセンが計画的に仕掛けた可能性はかなり高いと僕は思う。録音を80人に共有してから公開するのは、明らかに組織的な情報作戦だ。
電話1本で、タイ政治が崩壊した
この電話リークの影響は壊滅的だった。
時系列で整理するとこうなる。
- 6月18日夜:連立パートナーのプームジャイタイ党(タイの誇り党)が連立離脱を表明。ペートンタン政権は議会の多数派を失った
- 6月23日:タイの株価指数(SET)が5年以上ぶりの安値に
- 6月27日:フンセンがFacebookライブで追い打ち。タクシンが帰国後に「仮病」を使っていたと暴露。首と腕の固定具を「写真撮影用の小道具」と断言した
- 7月1日:憲法裁判所がペートンタン首相を職務停止
- 7月9日:タクシンが「フンセンとの関係は終わりだ。33年の関係は過去のものだ」と宣言
- 8月29日:憲法裁判所が6対3でペートンタンを正式に罷免
ペートンタンは39歳で就任して、わずか約1年で退任。2008年以来、タイで5人目の「司法によって罷免された首相」になった。
1本の電話録音が、一国の首相を引きずり下ろしたわけだ。
そして戦争が始まった
ペートンタンが職務停止になる前から、国境の緊張はすでに限界に達していた。
- 5月28日に「エメラルド・トライアングル」地帯で銃撃戦が発生し、カンボジア兵1名が死亡
- 7月23日にタイ兵が対人地雷を踏んで重傷を負い、タイが外交関係を格下げ
そして7月24日、大規模な武力衝突が始まった。
カンボジアのBM-21多連装ロケット砲がタイの住宅地、病院、ガソリンスタンドに着弾(タイ側発表)。タイ空軍はF-16戦闘機でカンボジア軍事拠点を空爆した。F-16の実戦投入は、1987-88年のタイ・ラオス国境戦争以来、約40年ぶりだった。
5日間の激戦の結果はこうだ。
- タイ側発表:兵士42名死亡、民間人62名死亡、14万人避難
- カンボジア側発表:兵士5名・民間人8名死亡(ただし独立分析では軍・警察160名以上死亡と推計)
- 両国合わせて約27万人が避難
7月28日、トランプ大統領の圧力とマレーシアの仲介で停戦が成立した。
ただし、この停戦は長く持たなかった。12月にはまた3週間にわたる大規模な戦闘が再燃。12月27日にようやく2度目の停戦が合意された。
ここで僕が思うのは、もしタクシンとフンセンの関係が健在だったら、どうなっていたかということだ。
2003年の大使館焼き討ち事件では、タクシンがフンセンに直接電話して数時間で解決している。5月28日の段階で同じことができていたら、7月の空爆は起きなかったかもしれない。
でも2025年6月の時点で、二人の関係はすでに完全に断絶していた。バックチャンネルがなかった。ペートンタンがフンセンに直接電話したこと自体が、正規の外交ルートが機能していなかった証拠だろう。
結局、仲介はアメリカのトランプ大統領とマレーシアに頼るしかなかった。
タクシン時代の終焉
紛争の影響はタイの政治を根本から変えた。
2025年9月、タクシン派に代わってアヌティン・チャーンウィラクン(プームジャイタイ党党首)が新首相に就任。彼はすぐにカンボジアに対する強硬路線を打ち出した。
- 国軍に国境での全権を付与
- カンボジア国境に壁を建設すると公約
- 国境検問所の閉鎖を維持
そして就任わずか100日後の12月12日に国会を解散。カンボジアとの戦闘が続く中での解散だった。批判的に言えば、ナショナリズムが最高潮のタイミングを狙った計算された賭けだ。
2026年2月8日のタイ総選挙の結果は、「タクシン時代の終焉」と呼べるものだった。
- プームジャイタイ党(タイの誇り党):約194議席で圧勝(前回の約3倍)
- 国民党(革新系):約116議席
- プアタイ党(タクシン派):約76議席で半減(前回141議席)
21世紀のタイで保守政党が総選挙で第1党を獲得したのは、これが初めてだ。
タクシン自身は2025年9月に禁錮1年の実刑判決を受けて収監中。娘のペートンタンは罷免済み。自分が創設した党は歴史的な大敗。
タマサート大学の政治学者は今回の選挙結果を「地殻変動」と評した。日経アジアは「致命的な選挙挫折」と報じた。
2001年から四半世紀にわたってタイ政治を支配してきた「タクシン時代」が、本当に終わりつつある。
これからどうなるのか
最後に、僕なりの今後の見通しを書いておく。これは完全に推測だ。
シナリオ1:長期膠着化(一番ありえる)
アヌティン政権はナショナリズムで支持を得ている以上、カンボジアに譲歩できない。カンボジアもICJ(国際司法裁判所)への提訴を進めており、引く気はない。停戦は続くけど、根本的な解決には至らないまま膠着化する。
2026年2月にはカンボジアがフランスに植民地時代の国境画定文書の提供を要請しており、法的闘争の準備を本格化させている。ただしタイはICJの管轄権を認めていないので、判決が出ても従う義務がない。
シナリオ2:経済的圧力で限定的な改善
国境閉鎖は両国の経済に深刻な打撃を与えている。アメリカも4,500万ドルの停戦支援を表明した。経済的な損得勘定から、国境検問所の段階的な再開や、限定的な協力関係の復活はありえる。ただし領土問題自体は棚上げだろう。
シナリオ3:再激化
可能性は低いと思うけど、排除はできない。停戦は過去に2度崩壊している。地雷事故のような偶発的な事件がきっかけで、再び火がつくリスクは残っている。
タクシンとフンセンの関係修復は?
正直、ほぼ不可能だと思う。
タクシンは刑務所にいる。フンセンは公の場で「仮病の小道具」を暴露するところまでいった。個人攻撃のレベルが修復困難な域に達している。
仮にタクシンが釈放されたとしても、ナショナリスト政権下でカンボジアとの「裏チャンネル」を再構築するのは政治的に不可能だ。
個人的に思ったこと
今回いろいろ調べてみて、一番印象に残ったのは「個人外交の脆さ」だった。
タクシンとフンセンの友情は、タイとカンボジアの間の最も効果的な非公式外交ルートとして、20年以上機能していた。大使館が焼かれても電話1本で解決できるくらいの関係だった。
でもその関係は、「詐欺の25階建てビル」への批判と「17分間の電話録音」で完全に崩壊した。
個人的な信頼で成り立っていた外交が壊れた時、それを代替するシステムが存在しなかった。結果として、F-16が飛び、ロケット砲が住宅地に落ち、100人以上が亡くなった。
一人の元首相の怒りが、二つの国の運命を変えた。
2025年のタイ・カンボジア紛争は、「個人外交の終わり」と「ナショナリズムの復活」という二つの大きな流れが交差した、歴史的な転換点だったんだと思う。
この記事は、英語・日本語・タイ語のニュースソース約50件を参照して個人的にまとめたものです。事実関係はできるだけ複数のソースで確認していますが、分析や推測の部分はあくまで個人の見解です。
主な参照メディア:Nation Thailand、Bangkok Post、Khaosod English、Thai PBS World、Al Jazeera、Reuters、CNN、The Diplomat、日経新聞、東京新聞、アジア経済研究所、Post Today(タイ語)、Spring News(タイ語)、The Momentum(タイ語)ほか