ラオス・フアイサーイ旅行記と、毛布を寄付してきた話

ラオス・フアイサーイにて、メコン川と夕日:筆者撮影

2018年12月8~10日の3連休を利用して、ラオス・フアイサーイへ3泊4日の旅行に行ってきました。

目次

フアイサーイ旅行記と寄付の話

タイ・バンコクからラオス・フアイサーイへの行き方

タイ・バンコクからラオス・フアイサーイへの行き方は、

  • ドンムアン空港からライオン・エアでチェンラーイ空港へ:1,000バーツ程度、1時間半
  • チェンラーイ空港から空港バスでチェンラーイ第2バスターミナルへ:20バーツ、1時間
    僕は途中、チェンラーイ市街で一泊しました。
  • チェンラーイ第2バスターミナルから国際バス(朝・夕の2便)でフアイサーイへ:225バーツ、4時間
  • 計 1,245バーツ、所要1日

と割と簡単・格安だったりします。帰りは同じルートで戻れます。日本人・タイ人はラオスのビザも不要です。

フアイサーイの宿で張り紙を発見!

フアイサーイでは、サバイディー・ゲストハウスAgoda リンクGoogle Map 地図)という宿に泊まりました。アゴダだと1泊300バーツ~程度の、ラオスでは普通のゲストハウスです。

ラオス・フアイサーイにあるサバイディー・ゲストハウス

ラオス・フアイサーイにあるサバイディー・ゲストハウス

このゲストハウスに、張り紙がありました。

サバイディー・ゲストハウスにあった張り紙

サバイディー・ゲストハウスにあった張り紙

内容は

『ラフ族に英語を教えてくれるボランティアの方を募集しています。ラフ族の子どもたちは、電気も学校もない田舎に住んでおり、教育は貧弱で、(ラフ語しか知らず)ラオス語も英語も話せません。そのためラフ族には仕事がなく、病院に行っても医師とラオス語で会話ができません。そこで11人の子供がここフアイサーイに移住し、ラオス語と英語を学んでます。子どもたちに英語を教え、一緒にゲームで遊んでくれる人を募集しています。

興味をお持ちの方は、facebook で Bounyong Yong (ブンニョーン)にコンタクトしていただくか、受付にお問い合わせください』

というものです。

ブンニョーンくんの話

興味を持ったので、受付で働いているブンニョーンくんに話を聞いてみました。

ブンニョーンくんはラフ族の22歳男性。短期大学で英語と経営を学んだ後に、このゲストハウスで働き始めました。英語、ラオス語、ラフ語が堪能。このゲストハウスでは、ブンニョーンくんが夜、彼の奥さんが昼に働いています。

主に彼と奥さんの村から、勉強の意欲がある子どもを選んで、彼の家に住まわせているそうです。子どもたちを家に住まわせて、食事もあげて、朝夕はピックアップトラックで子どもたちを学校に送迎し、夕方は英語を教え、夜は宿で夜勤。

献身的すぎるだろ、、、と驚きました。

ラフ族には、10年ほど前からキリスト教が広がっており、彼のお父さんは神父さん。彼もキリスト教徒とのことで、その信仰も関係しているのかもしれません。

何か必要なものは、、、?

ブンニョーンくんに、子どもたちに何か必要なものはないかと聞いてみました。

最初は遠慮していましたが、しつこく(笑)聞いてみると、「夜は冷えるので、子どもたちの毛布がほしい」とのこと。タイ北部やラオスの夜は10度以下になりますからね、、、それは必要でしょう。寄付させてもらうことにしました。

そこで観光を兼ねて、彼の車を1日雇うことにしました。チャーター料金は1日、ガソリン代込で50万キープ。ラフ族の村や、ゴールデン・トライアングルを案内してもらった後に、市場で毛布を買い、子どもたちに寄付するというプランです。

ラフ族のパナ村

案内してもらったラフ族のパナ村です。ラオスには公式には50の少数民族がいます。

ラフ族のパナ村

村人は主に農業をしているとのこと。ブンニョーンくんの家にいる11人の子供のうち、数人はこの村から来ています。家は竹製ですが、屋根はトタンです。少しお邪魔させてもらった家には洗濯機やスマホもあって、ラオスの少数民族としては、生活レベルは悪くないと思いました。

ただ、11人の子供の大多数は、ここからさらに30kmほど山に入った村から来ているそうで、今回はそちらには行けませんでしたが、そちらの生活は相当大変ではないかと思います。

この村ではラフ語を使っているので、小さな子どもと年配の方は、公用語であるラオス語を話せません。ラオス語を話せるのは10~40歳くらいの人だそうです。

近所に小学校がありました。

ラオス・フアイサーイのパナ村小学校

左手の小屋が幼稚園。右側のトタン屋根の校舎が小学校で、1~5年生が1教室ずつ(ラオスの小学校は5年制)、職員室が1部屋あります。

パナ村小学校のトイレ

パナ村小学校のトイレ

ラオスの学校にはトイレがないところが多いんですよね。この小学校も以前はトイレがなく、生徒は奥の草むらに入って用を足していたんですが、ブンニョーンくんがカナダ人から寄付してもらった資金で、トイレを建てたそうです。

毛布を寄付

中国人の市場で毛布を6枚買って、ブンニョーンくんの家に行きました。子どもたちは男女別、川の字になって寝ているので、2人で1枚あれば良いそうです。

子どもたちに毛布を寄付

子どもたちに毛布を寄付

英語で名前や年を聞くと、上手な発音で答えてくれました。熱意のある子供たちだけを住まわせているそうです。ここで学んだ英語はきっと将来の役に立つでしょう。

この前、タイのチェンラーイで子どもたちが洞窟に閉じ込められた事件がありましたよね。あのとき、英国人ダイバーが最初に子どもたちを発見したら、彼らが上手な英語で答えていました。ここの子どもたちと話したとき、彼らの英語を思い出しました。

もしみなさんもフエイサーイへ行く機会があったら、サバイディーゲストハウスを訪ねてみてください。英語のボランティアはいつでも募集しているそうです。

リンク:

サッカーボールなどを寄付(2019年3月追記)

ブンニョーンくんとは、その後も定期的に連絡を取っています。子どもたちも元気に学校へ通っているそうです。

彼から、子どもたちが遊ぶサッカーボールを買ってもらえないか、と依頼が来たので、個人的にお金を送って買ってもらうことにしました。

買ったものは、サッカーボール2個、セパタクローのボール2個、セパタクローのネット1個で、合わせて1,260バーツ。子どもたちからはお礼のビデオメッセージをもらいました。

ボールなどを寄付

ボールなどを寄付 掲載の許可はもらっています

ボールなどの領収書

ボールなどの領収書全部で 1,260バーツ。ラオスの知人経由で35万キープを送金し、350,000LAK / 280 = 1,250バーツ。ブンニョーンくんが10バーツを自分で補填したそうです。

フアイサーイの食べ物

カオソーイ(ルアンパバーン風)

フアイサーイのカオソーイ

フアイサーイのカオソーイ

カオソーイといえば、タイのチェンマイ・チェンラーイの黄色いカオソーイが有名ですが、ここはラオス・ルアンパバーン風のカオソーイ。細麺にひき肉が合ってます。色が赤いけど、辛くはないです。僕はこれ大好きで、毎食食べたいくらいです。

距離で言えば、フアイサーイからルアンパバーンよりもチェンラーイの方が全然近いんですが、文化的にはメコン川流域ということでしょうね。

カオプン

カオプン

カオプン

コメの細麺と透明なスープのカオプン。ラオス風に野菜を自分でたくさん入れていただきます。

竹虫

竹虫

竹虫

竹に入って生きたまま市場で売られてました。15,000キープ程度。揚げるとウマイです。

おかゆ

おかゆ

おかゆ

おかゆはラオスもタイも一緒ですね。揚げにんにくが香ばしくて美味しいです。

フアイサーイの観光地

僕が訪れたフアイサーイの観光地です。

ワット・マニラート寺院

ワット・マニラート寺院

ワット・マニラート寺院

フアイサーイの丘の上に建つワット・マニラート寺院。1458年創建、1880年再建。僧侶40人を抱える大きな寺。

ちょうど何かの式典をやっていたそうで、きれいな旗がかかっていました。

Google Map 地図

フォート・カルノ要塞跡

フォート・カルノ要塞跡

フォート・カルノ要塞跡

これもフアイサーイ市内にあるフォート・カルノ要塞跡。1907年にメコン川がタイとフランス(ラオス側)の国境になり、ここにはフランス植民地軍が駐留して、タイ側に睨みを利かせていました。

煉瓦造りで、いまは訪れる人もいないようです。塔は登れるようだけど、不気味だし崩れそうなので入りませんでした。

Google Map 地図

ゴールデン・トライアングル

ゴールデン・トライアングルの中華街

ゴールデン・トライアングル(ラオス側)の中華街

ゴールデン・トライアングルは中国語で書くと「金三角」。タイ・ミャンマー・ラオスの3ヶ国が国境を接するのでこういう地名です。このラオス側に、中国資本の経済特区ができまして、中国人が住み、お店を開き、カジノで遊び、中国からも観光客が続々と来ていまして、中国の飛び地のようになっています。

写真の商店街を少し歩いてみたところ、看板もメニューも全て中国語。たぶん中国元もそのまま使えるんじゃないんでしょうか。それならわざわざここに来ないでも、中国で良い気がしますが・・・

Google Map 地図