元F1レーサーのニキ・ラウダ氏が亡くなった。
3回のF1チャンピオンに輝いたラウダ氏にはいろいろなエピソードがあるが、ひとつタイに関係するものを紹介したい。
ラウダ氏は飛行機の操縦に興味を持っており、現役F1ドライバー時代に、ボーイング737型機の操縦資格も取得していた。そして1979年に自分の名前を冠した「ラウダ航空」を創立し、ラウダ氏はオーナー社長になった。
そのラウダ航空が1991年5月26日に事故を起こした。乗客乗員223名を乗せたボーイング767型機がタイ中部のスパンブリー県に墜落。全員が亡くなる大惨事となった。
タイ人の年配の方は、ニキ・ラウダと言えばこの事故を思い出す方も多い。
経営者であるラウダ氏にはこの事故の責任がある。
しかしラウダ氏が事故後に真相を究明しようとする努力は素晴らしいものであり、彼でなければできないものだった。少し長くなるが、上のウィキから引用したい。
『ラウダは(略)真相究明のためにボーイング社に乗り込んだが、当初はボーイング側が相手にしなかった。だが、ラウダが昼夜を問わず767の担当者を追い回した結果、ボーイング側がラウダを受け入れた』
『その後、ボーイング社は(略)シミュレータ試験では辛うじて操縦が可能であったと主張したため、ラウダは自分にも同条件で試験させてほしいと依頼した。ここでラウダは15回挑戦して1度も操縦を回復することができなかった。この結果から、「シミュレータ試験で回復できたというパイロットに実機を操縦させて同じ試験を行え。私もそれに同乗する」と言い、「それができないなら今回の事故の責任は運航者のラウダ航空(パイロットや整備士ら)にはなく、機体製造者(ボーイング)にあったことを公式にコメントすべし」と迫った』
『ボーイングは最終的にはラウダの意を酌んだコメントを発表し、その後の遺族に対する補償に際しても、ラウダ航空と共同して金銭の支払いを行った』
(太字は筆者)
2019年に起こったボーイング737MAXの事故でも、ボーイング社は当初は非を認めなかったが、世界中の批判を受けて態度を変えたことは記憶に新しい。
社長であり、かつ飛行機の操縦資格を持っているラウダ氏がいなければ、ボーイング社は非を認めなかっただろう。
なお、上記のウィキには「事故直後より無関係の部外者が現場に立ち入って高価そうな部品類を持ち去ることが横行した」という記述もあるのも当時のタイらしい話だ。
1991年5月、スパンブリーのジャングルに墜落したラウダ航空004
2万人以上のタイ人達がワラワラと残骸に集まり、金品を盗みまくった。死体の指を切り落としてダイヤの指輪を盗んだり、遺体を冷凍保存せず腐らせたり、世界中にタイは恥を晒したhttps://t.co/k50pZDk2r0 pic.twitter.com/YMcXNWzZHk— ザビエル古太郎 (@XavierKotaro) December 21, 2019
さて、この事故の墜落現場はここ。
タイ中部スパンブリー県のプトゥーイ国立公園の山頂にある。
僕は2015年5月に現場を訪れたことがある。そのときの写真を紹介したい。
国立公園の入り口。人っ子ひとりおらず、何やら怪しい雰囲気だが、どんどん入っていく。
山道はこんな感じ。
このときはトヨタ・カローラで行った。乾季だったので乗用車でもなんとか行けたが、雨が降ったらピックアップトラックでないと厳しいだろう。
未舗装の山道を30分ほど走っただろうか。事故現場に着いた。
「航空機墜落現場」「223名死亡現場」という看板がある。合掌。
こちらはウィキペディアにあったラウダ航空のボーイング737-800型機。
塗装から判断するに、現場にあった部品は垂直尾翼の一部でしょうか。
現場近くには、いまも大量の部品が散乱している。。。
ニキ・ラウダ氏が亡くなったのは2019年5月20日。
そしてこの墜落事故が起きたのは1991年5月26日。偶然にも同じ5月である。
なんだか背筋が寒くなってしまったが、、、ニキ・ラウダ氏と、墜落事故で亡くなった223名のご冥福をお祈りして、本記事を終わりたいと思います。