
6人の若者が亡くなった。
19歳のオーストラリア人の若い女性2人、21歳と20歳のデンマーク人の若い女性2人、28歳のイギリス人女性弁護士、そして57歳のアメリカ人男性。
場所はラオスの観光地バンビエン。バックパッカー向けの宿で無料で配られたウォッカのショット。それを飲んだ約100人のうち、6人が二度と帰ってこなかった。
そして2026年1月、この事件の裁判の判決が出た。
罰金185ドル。日本円で約2万8千円。
死亡に対する刑事責任を問われた者は、ゼロ。
ニュースの「表面」と「本質」
この事件、日本でもそれなりに報道された。「ラオスでバックパッカーがメタノール中毒で死亡」というニュース。でも、その後どうなったかを追っている日本語メディアは、ほぼない。
僕がこの事件を深掘りしてみようと思ったのは、2026年2月に出た判決のニュースを見たからだ。185ドルの罰金。しかも執行猶予付き。6人の命に対して、だ。
調べていくうちに、これは単なる「不幸な事故」じゃないことがわかってきた。ラオスのアルコール規制の構造的な問題、そして東南アジアの観光産業が抱える闇が、この事件の背景にある。
この記事で掘り下げること
この事件の核心は、「バックパッカーの楽園」と呼ばれるバンビエンで、なぜ偽造アルコールが当たり前のように流通し、6人が亡くなっても誰も本気で罰せられないのか、という構造的な問題だ。
事実と推測について
事実関係は、Laotian Times、BBC、The Guardian、SCMP、各国政府の公式発表など約30件のニュースソースに基づいている。分析や推測の部分は、あくまで僕個人の見方として読んでほしい。
バンビエンで何が起きたのか
「バックパッカーの楽園」バンビエン
バンビエンは、ラオス中部にある小さな町だ。首都ビエンチャンから北に約150km。石灰岩の山々に囲まれた美しい自然と、安い物価が魅力で、世界中のバックパッカーが集まる。
特に有名なのが「チュービング」と呼ばれる川下り。浮き輪でナムソン川を流れながら、川沿いに並ぶバーで酒を飲むというもの。安い酒、無料ショット、パーティー文化。バンビエンはそういう場所だった。
2024年11月12日の夜
事件が起きたのは、2024年11月12日の夜。バンビエンの「Nana Backpackers Hostel」で、宿泊客約100人に無料のウォッカショットが振る舞われた。
翌日から、宿泊客が次々と体調を崩し始める。
犠牲者は6人。
- Bianca Jones(19歳、オーストラリア・メルボルン出身)
- Holly Bowles(19歳、オーストラリア。タイの病院で生命維持装置につながれた後に亡くなった)
- Simone White(28歳、イギリス。弁護士。友人のBethanyと一緒に旅行中だった)
- James Louis Hutson(57歳、アメリカ)
- Anne-Sofie Orkild Coyman(20歳、デンマーク)
- Freja Vennervald Sorensen(21歳、デンマーク)
さらに少なくとも14人が重症となった。23歳のイギリス人男性Calum Macdonaldは、永久的に視力を失った。「万華鏡のような光が見えた後、完全に目が見えなくなった」と彼は語っている。
逮捕とTiger Vodka
事件後、ホステルの従業員11名が逮捕された。全員がベトナム国籍だった。
そして12月1日、ラオス政府が動いた。「Tiger Vodka」と「Tiger Whisky」というブランドの販売と消費を全面禁止。ビエンチャン近郊にあった製造工場を閉鎖し、オーナーを逮捕した。
ヴィエンチャン県の保健局がこの酒を検査したところ、有害物質の混入が確認された。
ここまでは、当局がまともに対応したように見える。
185ドルの判決
じゃあ、何がおかしいのか。
2026年1月、ラオスの裁判所がホステル従業員10名に判決を下した。
罪状は「証拠隠滅」。それだけだ。
メタノールを提供したことに対する責任も、6人が亡くなったことに対する刑事責任も、一切問われなかった。
判決は執行猶予付きの有罪。そして罰金は一人あたり185ドル(約135ポンド、約2万8千円)。
Bianca Jonesの父、Mark Jonesはこう言った。
「これは絶対的な不正義だ」
Holly Bowlesの父、Shaun Bowlesはさらに踏み込んだ。
「ラオス政府は腐敗しており、調査が行われている証拠は一切ない」
Simone Whiteの兄弟は、こう表現した。
「135ポンドの罰金は完全な冗談だ」
オーストラリア政府はラオスの駐オーストラリア大使を召喚して抗議。ペニー・ウォン外相が「完全な説明責任」を要求する事態にまで発展した。
工場オーナーはどうなったのか
ここで気になるのが、Tiger Vodka工場のオーナーだ。2024年12月に逮捕されたはずなのに、2026年1月の裁判で裁かれたのはホステル従業員10名のみ。工場オーナーに対する裁判結果は、僕が調べた限り、どのメディアにも報じられていない。
ラオス保健省は、工場について「製造工程の安全性と品質が基準を満たすまで」販売禁止を継続すると発表した。裏を返せば、改善すれば再開できるということだ。永久閉鎖ではない。
これは推測だけど、工場オーナーの処遇が報道されていないこと自体が、この事件の本質を物語っている気がする。末端の従業員は罰金185ドルで片付けて、製造元の責任は曖昧にする。そういう構造なんじゃないかと思う。
名前を変えて再開するホステル
判決以上に僕が衝撃を受けたのは、事件のホステルが名前を変えて再開しようとしていることだ。
2025年6月、BBCの調査で「Nana Backpackers Hostel」が「Vang Vieng Central Backpacker Hostel」に改名して再開準備を進めていることが判明した。
BBCの調査で確認されたこと。
- TripAdvisorやAgodaに新名称でリスティングが出ている
- 旧ホステルと同じ住所、同じ写真が使われている
- 同じ電話番号が使用されている
- AgodaやExpediaで実際に予約可能な状態になっている
生存者によれば、同じ経営陣が運営しているとみられる。
ホステルのオーナーは一貫して、毒入りの飲料が自分のバーから出たことを否認している。
名前を変えるだけで営業を再開できてしまう。しかもオンライン予約サイトでそのまま予約できる。6人が亡くなった場所で、だ。
生存者たちの闘い
事件の後、生還した人たちは黙っていなかった。
Bethany Clarke(イギリス)
Bethanyは、親友のSimone Whiteと一緒にアジアを旅行中だった。バンビエンのホステルで、Simoneと一緒に無料ショットを飲んだ。Bethanyはたまたまメタノール濃度の低いショットを飲んだため回復したが、Simoneは生命維持装置につながれた後、28歳の若さで亡くなった。
帰国後、Bethanyは学校や空港でのメタノール安全警告を求める署名活動を開始。国際空港にメタノール警告ポスターの掲示や、機内アナウンスの義務化を各国政府に訴えている。
「インフルエンサーキャンペーンだけじゃ足りない。制度として義務化しないと意味がない」
事件から1年後のインタビューで、Bethanyはこう語った。
「empty and numb(空虚で無感覚)。1年経っても、何も変わらない」
Calum Macdonald(イギリス、23歳)
Calumは、メタノール中毒で永久的に視力を失った。23歳で完全に失明した。
「メタノール中毒の危険性がもっと周知されていれば、僕は視力を失わずに済んだ」
Calumは現在、Bethanyとともに啓発活動に参加している。
遺族の訴え
事件1周年を前に、犠牲者の両親はラオスを「バケットリストから外すべきだ」と訴えた。特に若い旅行者に向けて、強い警告を発している。
各国政府はどう動いたか
- オーストラリア: Smartravellerを通じたソーシャルメディア・テキスト・空港でのターゲット型広告キャンペーンを開始
- イギリス: FCDOが「Know the Signs of Methanol Poisoning」キャンペーンを実施。メタノール警告対象を28カ国に拡大。日本やメキシコも新たに対象に加えられた
- アメリカ: 国務省がラオスでの認可店・バー・ホテルでのみアルコール購入を推奨。手製飲料の回避を勧告
各国の政府がそれぞれ対策を打ち出しているのは事実だ。でも正直なところ、啓発キャンペーンは「飲む側の自己防衛」でしかない。製造・流通・販売の構造にメスが入らない限り、根本的な解決にはならないと僕は思う。
ラオスの構造的問題
ここが一番重要な話だ。
TRACITという国際的な不正取引対策組織が2025年に出した報告書によると、ラオスで消費されるアルコールの最大33%が偽造品または未登録品だ。
3本に1本が、何が入っているかわからない酒。
これはバンビエンだけの問題じゃない。ラオス全土の構造的な問題だ。
なぜこうなるのか。
- メタノールはエタノールよりはるかに安い。利益を増やすために混入する経済的インセンティブがある
- 酒税法の規制と執行力が弱い
- 品質管理体制が整備されていない
- バックパッカー文化の「安い酒」需要が、未検査のアルコールの流通を後押ししている
そしてメタノールの怖さは、無色・無臭で、味や見た目ではエタノールと区別がつかないこと。わずか10mlで失明、30mlで死亡する可能性がある。飲んでいる時点では、絶対にわからない。
バンビエンはこれからどうなるか
最後に、僕なりの今後の見通しを書いておく。これは完全に推測だ。
シナリオ1: 表面的な対策で幕引き(最も可能性が高い)
Tiger Vodkaは禁止されたまま、ホステルは名前を変えて営業を続ける。各国が啓発キャンペーンを打つけど、ラオス国内の規制は大きく変わらない。しばらくすると報道も減り、観光客も戻ってくる。悲しいけど、これが一番ありそうなシナリオだ。
シナリオ2: 国際的な圧力で規制強化
オーストラリアやイギリスからの外交的圧力が継続し、ラオス政府がアルコール安全基準を強化する。2026年のLDC卒業(後発開発途上国からの卒業)を控えて、国際社会の目を意識した改革が進む可能性はある。
シナリオ3: 観光客の激減で強制的に変わる
メタノール事件の報道が続き、バンビエンへの観光客が大幅に減少。経済的なダメージが大きくなった結果、ラオス政府が本気で対策に動く。ただし、これは時間がかかるし、バンビエンの経済に深刻な影響を与える。
僕が思うのは、2026年11月にラオスがLDC(後発開発途上国)リストから卒業する予定であることが、一つの転機になりうるということだ。国際社会の中でのステータスが変わるタイミングで、アルコール安全基準の整備が進む可能性は、ゼロではないと思う。
調べてみて、一番思ったこと
今回いろいろ調べてみて、一番印象に残ったのは、現地メディアの温度差だ。
ラオスの政府系メディア「Vientiane Times」は、この事件をほとんど報じていない。一方で、隣国タイのメディアはこぞって大々的に報道し、タイ語のWikipediaには独立記事まで作られた。ラオス国内よりも、周辺国の方がこの事件の深刻さを理解している。
185ドルの罰金。名前を変えて再開するホステル。報道されない工場オーナーのその後。そして、消費されるアルコールの3分の1が偽造品という現実。
これは「不運な事故」じゃない。起こるべくして起きた事件だ。
そして、今この瞬間も、バンビエンでは安い酒が売られている。
この記事は、Laotian Times、BBC、The Guardian、SCMP、CNN、NPR、Al Jazeera、各国政府公式発表など約30件のニュースソースを参照して個人的にまとめたものです。事実関係はソースに基づいていますが、分析・推測の部分は筆者個人の見解です。

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